致死量の不条理をあなたに。ホラー映画「みなに幸あれ」ネタバレと感想

ホラー

ホラー映画「みなに幸あれ」のネタバレと感想を紹介していきます。
※本記事後半にはネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください

「幸せ?」と聞かれて、あなたはどう答えるでしょうか。
もし今あなたが幸せなら、それはあなたの知らないうちに誰かの犠牲のもとで成り立っているものかもしれません…

みなに幸あれ /2024 日本
監督 :下津 優太
脚本 :角田 ルミ
出演
古川 琴音 / 松大 航也 / 犬山 良子 / 西田 優史

あらすじ

看護学生の主人公は、田舎に暮らす祖父母の家に滞在することになる。
幼少期に体験したとある不気味な出来事から、祖父母の家に苦手意識のある主人公。
両親と弟は遅れてやってくるということで、居心地の悪さを感じつつも平穏に過ごそうとする。
祖父母は一見優しく、久しぶりに訪れた孫のことをもてなし、「いま、幸せ?」と孫を気遣う。
それでも、とある部屋から聞こえる物音や、時折様子のおかしい祖父母にぬぐえない違和感が強くなっていく。

同級生からいじめられている中学生を助けた際、たまたま再会した幼馴染との交流で一瞬平穏が訪れたが、そんなある日、いつも通り居間で祖父母と過ごす主人公の目の前に、決定的なあるモノが現れて…

みどころ

ただのホラーじゃない、新感覚の恐怖

この映画には幽霊や化け物はでません
音でびっくりさせられる要素や、徹底的なゴア要素で精神的に削られることはない。
それなのに、映画のはじまりから終わりまで、まるで毒を浴びたかのようにずーーっと嫌な気持ちと、底知れぬ恐怖が付いて回る。
なんなら見終えてから2週間近く経ったいまも、この映画のせいでふとしたときに嫌な気持ちになるくらい尾を引く恐怖である意味コスパのいい映画です(笑)

不条理・理不尽・非合理

この映画、すっきりしたい人には不向きです。
よくある村の伝統ホラーのように怪異の原因が解き明かされることも、わかりやすいエンディングがあることもない。
よくわからないまま映画が終わっていく感覚でした。
それでも一貫したテーマは敷かれているため、考察要素も多く、考えることが好きな人にはたまらない映画でしょう。

結末(以下ネタバレ注意)

部屋に閉じ込められていた謎の老人を助け出し、幼馴染と共に逃げ出す主人公。
しかし老人は発狂してしまい、そのすきに通りすがりの車にはねられて死んでしまう。
たまたま通りすがった主人公の両親も、跳ねた犯人も、追いかけてきた祖父母も、みな「仕方ない」と言い、老人が死んだことを気にも留めず、適当に燃やし始めてしまう。

「狂ってるよ!」と両親、祖父母に吐き捨て、なんとか元の日常に戻るべく画策するも、弟の目からは血があふれ出し、祖父母や両親は笑い始め、主人公の瞳も赤く充血し始める。
「(死んだ老人の)代わりを連れてこないと、みんな死ぬ」と語る母親。

そんななか、祖父母の家にある写真に、祖父母の娘(父親の姉、主人公にとっておば)がいることを知る。
主人公と同じく、謎の風習に抵抗を示し、家を飛び出たというおばは、山小屋でひっそりと暮らしていた。
「世界は0と1で出来ている」「アフリカの子供は不幸なのか」といったことを語ったおばは、主人公に薪わりの仕方を教えている最中、わざと振り下ろされた斧の下に頭を突き出し、主人公に殺される形で命を落とす。
混乱した主人公が慌てて小屋に駆け込むと、小屋の奥にはミイラ化した人間が吊るされていた。

追い詰められた主人公は、地元の悪い中学生たちを新たな生贄にしようとするも、思いとどまる。
そこへ以前助けた中学生が通りかかる。いじめられっ子だった彼は、いまや自分より弱そうな生徒をパシリに使っていた。
「オレ、いいですよ」悩む主人公に穏やかにそう語りかけ、いなくなる中学生。

そのころ、幼馴染の父親は亡くなってしまっていた。
誰かを生贄に幸せを得ることを拒んだ幼馴染と父親は、結局不幸を迎えてしまった。
たったひとりの家族を失った幼馴染は、主人公の手を掴み、自分の首に押し当てる。
泣き叫びながら抵抗する主人公。
しかし次第に、その状況を受け入れはじめ、最後には薄ら笑いを浮かべ、幼馴染の首を絞める。

気を失った幼馴染を祖父母の家に運ぶと、家では祖母が出産を終え、赤ちゃんを抱えていた。
あの老人のように目を閉じ、口を閉じ、部屋に閉じ込め始める主人公。

それから数年。
医者の彼氏との結婚あいさつのために歩く主人公。
ふと一軒家の二階に目を向ければ、女性がさっとカーテンを閉める。
それをみて、主人公はなにかを理解したような笑みを浮かべ、また歩き出すのだった。

感想と考察

ソレは現代社会の縮図

自分たちの幸福のために人間を閉じ込め、それに感謝することも、同情することもなく受け入れる。
それを失えば今度は自分たちに不幸が襲い掛かってくるから、新しいそれを探す。
これは現代社会の縮図そのものです。
私たちの幸せは、どこかの国で低賃金で労働している人、食べられるために育てられ殺される家畜がいるから成り立っています。
でもいちいち立ち止まってそれについて考えている人はどのくらいいるでしょうか。

主人公は一見私たちの価値観で、正義を貫いているように見えたものの、結局は祖父母たちの考えを受け入れます。
綺麗なだけでは生きられない。幸せに生きたいのなら、自分たちの罪を受け入れることを学んだ主人公の、大人になるまでの成長物語のようにも見えました。

私たちは主人公?生贄?

この映画では明確に主人公家族(幸福を享受するもの)と搾取される側(謎の老人、幼馴染)で分けて描かれてきました。
しかし、現実はそう単純にわかれていません。
先ほど書いた通り、私たちは家畜や発展途上国を搾取して幸せに生きている一方で、更にお金持ちの誰かからみたら、搾取される側でもあるのです。
それでも主人公サイドで見てしまった自分の愚かさと、劇中でおばが言っていた「アフリカの人々は自分を不幸と思っているのか」という話に、見終えた後自己嫌悪に陥りました。

幼馴染と中学生

中学生の男の子は最初はいじめられている存在として現れ、終盤ではいじめる側の存在として現れます。
そして主人公に「いいですよ」と、まるでソレになることを受け入れるようなことを言い残すのです。
幼馴染も、家族ぐるみでだれかを犠牲にして得る幸せを拒んだものの、最終的には主人公のために自らが犠牲になることを選びます。

この二人に共通するのは、別の誰かのために犠牲になることは嫌だけれど、主人公のためなら苦でもないということ。
搾取する側からみたら不幸でも、案外される側は搾取されているという心持ではなく、大切な誰かの役にたっている幸福なことなのかもしれません。

おばは何故死んだ?

誰かを犠牲にすることを拒み、ひとり山暮らしをしていたおば。
彼女は満面の笑みを浮かべたまま斧に頭を割られる形で命を落とします。
そんな彼女ですが、結局小屋の中で誰かを犠牲にしていた形式がありましたね。

おばは、誰かを犠牲にすることを受け入れることもできず、かといって自分が不幸になるのも受け入れられなかった人なのでしょう。
祖父母たちのように堂々と誰かを犠牲にしたくない、でも死ぬのは怖い、だから小屋の奥で人を吊るす。自分で終わらせる勇気もない。
だからこそ、自分と同じく現状に違和感を覚えている主人公の手で、すべてを終わらせてほしかった。
ある意味でどこまで行っても一番自分ではどうにもできていない、ずるくて弱い人だと感じました。

まとめ

語っても語りつくせないくらい理不尽な要素がちりばめられているね

この映画がおすすめの人
・深く考えることが好きな人
・普通のホラー映画に飽きた人
この映画がおすすめできない人
・子供が痛い目にあうのが嫌な人
・すっきりハッピーエンドを求める人

コメント

タイトルとURLをコピーしました